暇な愚痴

メインはグラブルのプレイ記事、あとは気が向いたら別のゲームの話も、基本愚痴です。

十天衆オクトー

グラブルにおける剣豪の1人、刀の道を進むために自らの名を捨て、姿を変える。



ナルメアの最終エピソードで出てくるだろうけど。本名はザンバ。


これは十天衆のエピソードの前にシルヴァの最終解放エピソードがあったからソーンの最終解放にもからんだ話しになっているが。


オクトーもナルメアの最終解放がさきに実装されていたら、オクトーの最終解放ももう少し変わった展開があったのではないかと考えたりもする。


基本フュンフみたいな子供にやさしいオクトーだが、まぁナルメアを引き取った頃がまだオクトーと名乗っていなかったことを考えると、そこらへんの因縁はナルメアの最終に関わってくるから置いておくとして。


最近になってオクトー最終解放は以前に比べて難易度が下がったらしいが、それでも手順を間違えると勝てない。


初手に1アビ使って奥義は200%で極力使うことが必要になる。



天星器との邂逅で珍しいのは人の形をしてきたことである。ただ、このやり取りでオクトーが辛辣なセリフをいう。



実際この刀を主武器にして使ったことがない・・・剣聖でやるにしても使わないし、侍を運用したことがない。ましてやグローリーなんてJMPのほうが強い。



そんなこんなで今回は「いいから今回だけ使ってみて、損はさせないからさ」という悲しみが垣間見えた形でオクトーが手にしてスタートする。洗脳ではなく、サラーサ、ウーノ同様、同意という形である。




今回はサラーサ同様十天衆のメンバーに「最強とはなんだ?」という問いかけをして戦闘をしていく。その答えが個々人によって違っているのが特徴である。


ただそれぞれの答えがサラーサと違って、それぞれもっている信念そのものの答えになっているのが興味深い。




シエテは剣拓のコレクターではあるが、強さが勝手についてくる天才という一面が見える。




エッセルは強さにはいろいろな形があり、理性、感情、外界の全てを併せ持つものが最強であるという。


エッセルとカトルは最強という称号をマフィアに対する対抗力として利用しているという点があるため、自らを強いということはない。




ただ、カトルの場合、「生きていること」や生まれ持った「運」も強さの要素に入ると付け加えている。スラム街で生きる者らしいセリフである。




ソーンは最終解放やるとわかるが、突出した化け物が真の強さではあるが、そのために孤独の恐怖に打ち勝つことも必要である。再びその道に足を踏み入れたら、またシルヴァにゴム弾をぶち込まれるんでしょうけど・・・





奏者としてのニオは元からメンタルがよわい。彼女の場合、自分にないものを持つものの憧れともとれる。

















サラーサの場合最終解放後だったからなのか、自分と主人公だという揺るがない自信である。まぁ・・・主人公はストーリー上最強なのは間違ってないだろうけど・・・




ウーノは以前の最終解放エピでも話したかもしれないが、核兵器を利用している大国の発想そのものである。




シスの場合、最強という立場を一度手にしたために孤独と闇に飲まれている。そして輝きを示す力、シスの言う『あの男』は誰かは不明だが、主人公の父親じゃないかなーとぼんやりと思ったりしてます。




フュンフは勧善懲悪をする自分が最強であると言うが、オクトーはそれを「なぜ悪いやつを倒すのか?」という禅問答でフュンフは困り果てる。いずれ最終解放エピソードでどうなるのが期待したい。


個人的には純粋な思考ほど怖いものはない・・・オクトーはそれを諭すようにいっているのだろうが、いろんなことに疑問をもちすぎると、おいらみたいにひねくれた性格になってしまうからほどほどにしたほうがいい・・・。


こうして十天衆に物理で語り合った問答も最終戦の主人公にも向けられる。


主人公の強さは、最強にこだわらず周りの者とてを取り合い立ち向かう『縁』の力であると答える。



最強に向かって道を進めていたオクトーにとって別の形の道を見せることでそれを見守りたいと語るオクトー。




こうして4アビを習得する。


そして威力ですが・・・解放前よりも倍の火力で度肝をぬかれました・・・古戦場の肉集めが楽になりそうです。


無駄な愚痴がまた1ページ・・・